『Noise』製作日誌
[とある電話]
第一声は「島田くん、4月辺りから空いてたりするかな?」。電話の主は、撮影監督であり俳優でもある岸建太朗さん。ずっと年上の岸さんだが、私の学生時代から繋がっている。半年前も別の映画の現場で数ヶ月一緒に過ごしていた。「21歳の若い子が映画を撮ろうとしてるんだけど、一緒にどうかな?島田くんとも同世代だと思うから」。二つ返事で、映画『Noise』への参加を決めた。私は、こうして、松本・岸に続く三人目のスタッフになった。ちなみに四人目は当時高校生だったマツヒラくん、今年から某大手出版社の正社員だそうだ。
[監督との出会い]
「はじめまして、松本です」青年という言葉がぴったりな人、松本さんの初対面はそういう印象だった。「クラウドファンディングで、どうにか資金を集めて、映画を撮ろうと思ってまして、そのぉ、島田さんに、助監督をお願いできますか?」。(予想はしていたが)予算は決して潤沢ではなく、スタッフの数も決して多くはない。けど脚本は長編映画の体裁だし、何よりきちんと撮ろうとしていることがわかる。「高校生の頃友人が自殺して、その頃、秋葉原の事件もあって、それから、僕、東京に出てきてテレビの制作会社に入ったんですけど、全然やっていけなくて会社辞めたんですよね。その時、あっ、自分も本当に死ぬかもしれない。と、初めて思ったんです。そういった体験から、映画を撮ろうと思ってまして」。
[秋葉原、地下アイドル、篠崎こころ]
舞台は秋葉原。もちろん、あの事件も関わっているが、監督の中でのモチベーションとしては、主役の篠崎こころさんとの出会いが大きかったという。篠崎さんは、撮影当時地下アイドルとして活動していて、秋葉原を拠点としていた。篠崎さんの生い立ちや、アイドルとして活動するようになった経緯を知った松本さんは、篠崎さんを今回の主役として据えようと思った。でも、お芝居の経験はない。『Noise』は松本さんの自主製作映画。一か八かだが、 松本さんの勘に委ねるしかない。
[小橋賢児さん]
メインどころのキャストが決まりはじめた。けど、キーとなるリフレ店の店長役がなかなか決まらない。そんな時、松本さんがポッと呟いた「小橋賢児さんどうですか、僕、単純にファンなんですよね」。それを聞いた岸さんが「SKIP映画祭の繋がりで、小橋くんの連絡先は知っている。…松本くんが、本当にその気なら、連絡するけど」。その場で小橋さんと連絡がとれ、後日、松本さんと私は六本木の事務所でお会いすることになった。
扉を開ける。白を基調とした室内。洒落たインテリア。そこに小橋賢児さんがいた。「売れるということが、本当に幸せなことなのか、僕、わからないんですよね」と松本さんが、脚本をすでに読んだという小橋さんに語りかけると、一時の間が生まれた。そして、小橋さんが口を開く。「僕も芸能界という世界にいて、売れることを必要とされた…けれど…売れることに比例するように、僕がいなくなっていった。これをして欲しいと言われたら、何も考えないでそれをする。で、テレビや映画に出るようになって、人からは活躍してるね。と言われる。ある意味では、それが正しいのかもしれないけど、僕という個性は段々と失われていった」。アイドルを目指しつつ、リフレ店で働く女の子たち、そんな彼女たちを見守る店長・高橋が、リフレ店のオーナーにこう訴えかける「美沙には、あぁいうキラキラした世界は、違うと思うんですよね」というシーンがある。その場で小橋さんに正式に出演を依頼し、快諾していただいた。
[大橋健の役作り]
とある不動産屋さんが、人の住んでいないマンションの一室を貸してくれた。そこは大橋健と母親の住居として使うことにした。すると、健役の鈴木宏侑さんから「撮影前から住んでもいいかな?」と相談を持ちかけられた。さらに「衣装として、運送会社の制服とかあるなら、先に受け取ってもいい? 汚しとかしたいし」。そうして、クランクイン2週前から、鈴木さんの大橋家住まいが始まった。美術の作り込みやら、スタッフ間の打ち合わせやら、その家を訪れるといつも、運送屋の服を着た鈴木さんがいた。届いたレンジでレトルトカレーを温めて食べ、夜は近所の銭湯に通う。部屋で、永山則夫の小説を読み、大通りから響く通勤の音を聞きながら朝を迎える。そうして、鈴木宏侑は大橋健になっていった。
[秋葉原の交差点、美沙と篠崎こころ]
2016年6月2日。撮影場所、秋葉原交差点付近。S86。美沙、錯乱状態で街を歩く。
篠崎さんは、誰かと話していても、芝居をしていても、そこに彼女が本当にいるのか?私たちが彼女の幻影を見ているにすぎないのか? そんな空気を携えていたと思う。けど、同時に、人々が求める「篠崎こころ」像と、彼女が持っている「篠崎こころ」という存在が、どこか乖離しているようにも思えた。
撮影は大詰め。地下アイドルとして活動する美沙が、様々な理不尽さから絶望の淵へと追いやられ、錯乱状態で秋葉原の街を歩く。そして、交差点に置かれた花束を見つめるというシーン。スタッフは、篠崎さんが美沙という役に入り込んで行くために細心の注意を払った。秋葉原の夜。ゲリラ撮影。芝居の流れは決まっていても、カメラワークは定めない。このシーンは、何度も演じることが正解ではない、とスタッフ間の認識は共通していた。
岸さんがカメラを構え、篠崎さんがフレームに収まる。その瞬間、私たちは、フィクショナルな世界を作りつつも、篠崎こころのアイデンティティ、彼女の内なる憤懣を目撃したのだと思う。そこにいたのは、錯乱状態の美沙であり、地下アイドルという肩書きを持つ篠崎こころでもあった。もちろん、私は篠崎さんじゃない。彼女が何を考えながらこの瞬間を生きているのか、私はわからない。けれど、それは、あの、どこか乖離しているこれまでの彼女ではなかった。真摯に美沙を演じる生身の「篠崎こころ」が、秋葉原の街を歩いていたのだ。
以上、助監督 島田雄史
[映画『Noise」キーアイテム]
無知の涙 Tears of Ignorance
永山則夫が著した手記。1968年から69年にかけて、米海軍基地から盗んだ拳銃で、東京・京都・函館・名古屋で、19歳の永山が起こした連続射殺事件。ネグレクトにより読み書きも困難な状態だった永山は、逮捕後、獄中で、独学で執筆活動を開始し1971年に本書を発表。48歳、1997年の死刑執行まで獄中で創作活動を続け、小説「木橋」で新日本文学賞受賞の小説家。BOOKデータベース→ 4人を射殺した少年は獄中で、本を貪り読み、字を学びながら、生れて初めてノートを綴った。―自らを徹底的に問いつめつつ、世界と自己へ目を開いていく、かつてない魂の軌跡として。
十九歳の地図 The 19 Year Old’s Map
中上健次が著作した日本短編小説。中上26歳の、1973年(昭和48年)6月に『文藝』に発表、第69回上半期芥川賞候補。1979年柳町光男監督により映画化、キネマ旬報7位を獲得。この映画を見た尾崎豊は『十七歳の地図』を作った。多忙を極めつつ46歳没。松本の購入した書籍が本作にも登場。BOOKデータベース→ 予備校生のノートに記された地図と、そこに書き込まれていく×印。東京で生活する少年の拠り所なき鬱屈を瑞々しい筆致で捉えた青春小説の金字塔。
ギルド Guild
BUMP OF CHICKEN通算4枚目のアルバム「ユグドラシル」に収録されている楽曲。作詞・作曲、藤原基央、「人間という仕事を与えられてどれくらいだ?」から始まる。松本がしばしば聴いていた楽曲の一部が本作の脚本に健のセリフとして存在している。役作りも兼ねて鈴木が聴いていた楽曲の一部が本作の健のセリフになっている。
以上、テキスト執筆者